※ 今日の一言 ※ '16年の秋バリから無事に帰国しています。次の春バリまでの間に2度ほど別の国への渡航も挟みますが、ブログは'16年秋バリ記録+春バリで記録し残している分に特化してぼちぼち個別備忘録をあげていく予定です。

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2011年 02月 08日
カルメンとベアトリス (1994年 メキシコシティー)
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                                         Jul. 1994 @ Ciudad de México

写真中央 赤いノースリーブの姉・カルメンは2児の母。白いTシャツの妹・ベアトリスは当時大学生。
彼女達との出会いはカンクンからメキシコシティに向かう長距離バスの中。
この姉妹、メキシコ人なんですけど一家でアメリカ移住されておりまして当時はフェニックス在住。
会話はスペイン語。英語が通じるのはベアトリスだけなのでなんとなく地元の人と知り合った気分w
(厳密に言えばお里はメキシコシティなのでご当地に詳しいから地元民みたいなもんですけど)
カンクンへはママ&姉妹+子連れで来ていたけど、メキシコシティでは滞在先の親戚にちびっこを預けて
ママとカルメン&ベアトリス姉妹とでいろいろと観光旅行を楽しむつもりとのことで
「メキシコシティに着いたら一緒に遊びましょう!いろいろ案内してあげるよ~」って言われて
毎日のように宿泊先のホテルに迎えに来てもらっては ご一緒させていただいておりました

正確には私のファーストメヒコはこの年をさかのぼること8年前(1986年)だったけど
私にとってはきっとこの1994年の7月が 本当の意味での【私のメヒコ】との出会いだったというか。
それまで「好きな旅先は?」と聞かれると エリア的には中米カリブ地域が好きだったけど
あれもこれもそれぞれのよさがあるからな~・・・といまいち煮え切らない回答を繰り出してた私が
(老後住むならやっぱりハワイ島希望ですがw)「旅先としてはメヒコ!」と即答できるようになったのは
この時のTちゃんとのメヒコ滞在がすべてのきっかけだったと思う。
そして、なんでそんなに好きになったかを思い返すと やっぱりこの姉妹&ママの存在は外せないわけで。





それまで、旅先で友人と合流することはあっても出発から帰国まで誰かとずーっと一緒っていう
パターンが極端に少なかった私の渡航履歴。(家族旅行でさえも、私だけ長く残ったりしてたからw)
滞在中に誰かと合流中でも 自由行動重視でそれぞれがやりたいことをする・・・といった感じ。
そんな中、初めてと言っていいんじゃないかな? この時は1ヶ月以上 Tちゃんとずっと一緒の行程で
私の6歳下のTちゃんにとっては初の海外旅行だし、彼女のご家族とも仲良くさせてもらってるので
「viajeraちゃんと一緒なら大丈夫だろう」と信頼して 可愛い娘を送り出してくれたTちゃんのご両親の手前
彼女を危険な目にあわせるわけにはいかないし、1人旅の時とは違う緊張感を持っていたのは事実。
(※この旅程の後半にアメリカにわたってからのことは少しだけこの過去記事にも載せております※)

メキシコシティではスリが多いだの、犯罪に巻き込まれやすいだの、まぁいろいろと注意喚起される
部分はありましたが、今までの私だったら「なんかに巻き込まれても自己責任」と割り切れたけど
嫁入り前の未成年の娘さん連れてるわけですから へんなものに巻き込まれるわけにはいかんし
初海外の友人に「もう海外はこりごり」と思われるよりも楽しい思い出を作りたいやん?

夜間走行の長距離バスは強盗があったり、貧しい地域ではゲリラが出るから危ないと言われてたけど
当時は 一気に目的地に着く飛行機移動よりも 道中を楽しめる陸路移動が好きだった私。
どうしても片道だけでもバスに乗りたかったから 往路は空路を使ったけど復路は24時間かけてバス移動

で、この カンクンからのバス内で仲良くなったのが カルメンの息子・オマール(5歳)だったんよね。
子供きっかけだったけど 同乗していたカルメンとベアトリス姉妹、そして姉妹のママと意気投合。
バスは数時間おきにトイレ休憩兼ドライブインみたいなところで食事休憩があるのだけど
同じようなバスばかりが停車している駐車場で迷子になりがちな私達をサポートしてくれたり
食事休憩中に屋台のようなところで周りの勢いに負けて注文できずにいる私達を助けてくれたり
車内でも「これ、美味しいから食べてみて~」っていろんなオヤツをまわしてくれたりw

おかげで私達も 普段なら自ら選ばないようなご当地の食べ物が意外に美味しいと気づいたり
徐々にメヒコ式のいろんなことのコツを掴んできて いろんな楽しみ方を教わったと思います。
もちろん、それまでの行程も順調で メヒコをかな~り楽しんでいた私達だったけど
多分1人だったら躊躇せずに飛び込めた世界も この時は保護者的感覚で同行者と旅をしてたから
珍しく変な責任感を勝手に感じていていつもより保守的になってた私だし
きっと同行者も 心のどこかに「私が足手まといになっちゃいけない」というプレッシャーがあったと思う。
だから その時は気づかなかったけど 今思えばこのママと姉妹の存在は 「私達の【おかん】みーっけw」
って感じで 2人にとってはほんとにいい意味で緊張感を解いてくれる存在になったんだと思う。

メキシコシティに着いてからも、約束した日は毎朝10時頃になると
ママとカルメンとベアトリスの3人で、私達が滞在するホテルのロビーに迎えに来てくれる。
ロビーでは毎朝猫と戯れるのが Tちゃんの日課
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関係ないけどこの猫 私のツボすぎたのでアップでw
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一度、私が朝から貧血になって「街歩きできるような状態じゃない」と断ろうとすると
ママがガガガーーーッって私の手を引いて 近くの果物屋さんにつれていき
なぜかいちぢくを大量に食べさせられた。 そしたら治ってすぐに元気になった不思議wwww

その後、ジューススタンドでV8のようなものを飲まされたんですけど けっこう美味しくてびっくり
左から Tちゃん、ベアトリス、 ママ、 カルメン
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ある日、週末のフリーマーケットに行こうってことでコヨアカン方面に行くことになり
フリマに行く前に フリーダカーロ博物館(フリーダの生家・青い家)に観光に行こうってことになる。
私もTちゃんも 前から行きたかったのだけど地下鉄の駅から遠いのと 市バスのルートがわからず
「迷いそうなところはよしておこう」という今回特有の安全策で削った場所なので願ったりかなったり。
これで行き方を覚えれば また自力で行けるしネ!・・・なんていう心構えで向かったけど
ミニバスみたいなのをわけわからんところで停めて降りて 別の路線のミニバスに飛び乗るという
慣れた人しかわからんやろ!的なママの荒業により、カルメンは私 ベアトリスはTちゃんの手を引いて
はぐれないようにするのに精一杯で 結局行き方はわからないまま 強制連行状態で到着

館内撮影禁止の為 傍で記念撮影。 壁がフリーダの青いおうちの色じゃろ?
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↑ ガッツリと余談ですが、Tちゃん(顔が青い)が着てるTシャツは 現地で買ったんですけど
前から見るとメヒコの国旗にMEXICOと書いてあるだけに見えるところ バックプリントは
その時(ワールドカップアメリカ大会開催中)の メヒコ代表の選手たちの集合写真だったので
残念ながらメヒコはラウンド16で敗退してしまってたけど これを着てると町の人気者になれたあの時w
(TちゃんのTシャツといえば別のTシャツがカンクンでも大人気だったんですけどまたそれはいつかの機会に)
みんながみんなこのTシャツのバックプリントを指差して「サンチェス サンチェス」と群がってくるので
9番のウーゴ・サンチェスという人が人気なのね・・・とはじめて知った私達。
このTシャツ、私達が買った時はすでに最後の2枚だったんで私は日頃世話になってる知人の息子
(サッカー少年。当時12歳)に、 Tちゃんは当時の彼氏(現在の旦那さん)にあげる予定で買ったのに
あまりにも町の人の反応がいいので旅行中に自分が着続けていたTちゃんwwwww
そして、この日はそのワールドカップの決勝の日だったので もちろん着るっきゃないでしょ?
対戦はブラジルVSイタリアだったからメヒコ関係ないんだけどさ。

フリーダの博物館を見学したあと、広場というかフリマ地帯に向かった私達
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この時のママの露店での買い物っぷりがスゲー!小さい人形を30体とかwwwww
私達も1つずつもらったので、私がもらったのは「カルメン」 Tちゃんがもらったのは「ベアトリス」と命名。
ところが雑踏にまぎれて Tちゃん速攻ベアトリス(人形)を落として紛失で相当凹む(爆)
でもママは優しくて 「気にしないで★新しいのあげるから元気出して」ってヌエボ(新)ベアトリスを貰う。
私達はそれまで カンクンに行く前の行程でメキシコシティーでルチャリブレを観た時に会場で買った
色違いのルチャ人形をベッドサイドに置いていたんですけど、その日からベッドサイドの仲間が増えましたw

メキシコシティ滞在中にいろんなところにつれてってもらったけど
この日のことが一番記憶に残ってるのは、この日の広場の光景が一番キョーレツだったから。
・・・というのも、先述したように この日は FIFAワールドカップアメリカ大会の決勝戦の日だったんです
既にメヒコはR16で敗退していたし、大画面のパブリックビューイングがあるわけではないんですけど
もう、広場全体がパブリックビューイング状態。露店ではラジオの実況が流れてるだけなんだけど
広場の周辺のレストランとかでは 中にある小さなテレビにみんなが群がってる状態。
レストランのお客さんじゃなくても 勝手に中に入って見入ってるから私達も立ち見していて
ふと隣を見ると、私達の横で厨房の中から出てきたシェフがTVを見ながら興奮してたw
えーと、観戦しつつも食事を待ってるお客さんも居るのに このお店、誰が料理作るんですかーー?
でも、そんなことよりみんなフットボールに夢中。その雰囲気がめっちゃ楽しかった。

中には露店にTVを持ち込んでいるお店もあるから試合中に何か動きがあるたびに
あちこちからワーキャーと歓声が聞こえてきて そのたびにベアトリスが何が起こったか実況中継してくれる
この過去記事にも書いたように 私自身 高校時代のホームスティ先のサッカー少年のおかげで
サッカー観戦の楽しみを知ってから あぁ栄冠は君に輝く よりも 振り向くな君は美しい になじんできたし
その前のワールドカップ(1990年)の時も L.Aのスポーツバーで観戦したから免疫はあったんだけど
まだ日本ではJリーグができて1年とかの頃だから(いわゆる ドーハの悲劇 の時の本大会です)
Tちゃんにとってはとてもエキサイティングな光景だったようだし、スポーツバーのような固定空間でなく
町全体が試合一色の雰囲気になっていたことに メヒコでのサッカー人気を思い知ったわけです。
しかも自分達の国の試合じゃないのに ヤツラのコーフンっぷりときたらwwwww
多くの人たちはブラジルを応援していたようで 最終的にブラジルが勝ったのでみんなゴキゲン。
全然知らない人と ブラジルの優勝を喜び合ったりして メヒコの人たちとの距離がぐっと縮まったこの日。

まぁそんなこんなで、私もその後も大会中に旅行中だった場合は必ず旅先のパブリックビューイングや
スポーツバーなどで観戦する習慣がついてしまったわけですが (今年も3決と決勝は旅先で観たしw)
それはこの時の町の興奮の楽しさが忘れられないからなのかもしれません。

ブサ可愛い骸骨、ルチャリブレ(メキシコプロレス)、フリーダカーロ、カラフルな色使い、
チャーミングなじじい、コロニアルな町並みなどなど、もう既にメヒコに夢中になりかけていた私達に
この長距離バス内での偶然の出会いはアモーレメヒコになるとどめをさしてくれたように思います。
メヒコって国が 決して排気ガスまみれでなんだか危険な場所ってだけでなく
人情が溢れてて旅行者に優しい魅力的な国なのだということを教えてくれたカルメンとベアトリスとママ。

この数年後、Tちゃんの同級生で当時からおもしろクラスメイトとして噂に聞いていたEVAちゃんが
(その後、EVAは私の最強で最弱なベスト・タビ友となるw) Tちゃんからメヒコの楽しかった話を聞いて
「私もいきたい!」ということになり '96年のEVAちゃんとのメヒコ・ぶらり途中下車の旅を決行。
その時の旅でもオアハカでばぁばとの新しい出会いもあり更にメヒコにはまったばかりか
その後も各国で過去旅の忘れられないEVAちゃんとの思い出をつむぎだす結果に至ったわけで
今までにもメヒコに限らずEVAちゃんとの過去旅は少しだけUPしてるんだけど
また機会があったら記録しておきたいなと思うことがいっぱい。

当時は、機会があればなるべくは行ったことのない国に行きたいと思っていた私だから
メヒコは好きだけどリピートは後回しになって 通い続けることもなかったのかもしれないんですが
でもこの出会いで、自分とメヒコのかかわりを単なる過去の旅の思い出ではなく
アイエヌジー(ing)であり続けたいと思ったことが 今の私のメヒコへの想いに繋がってるわけで
そしていつだってその想いの原点に居るのは カルメンとベアトリスとママの存在なのだと思います。


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Top▲ | by la_viajera | 2011-02-08 19:51 | mexico
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